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布教
最初の説法で5人の弟子ができ、その後すぐ、あっという間に弟子の数が60人に増えた。
このとき釈尊は「この教えを積極的に伝道して、できるかぎり多くの人びとを真理に目覚め
させなければならない。」と考え、弟子たちに宣言した。「わたしたちは、これから世の幸せ
のために、布教の旅に出かけよう。一人ひとりが別の道をいき、手分けして広く法を説こう。
わたしもマガダ国の王舎城へ向かって布教の旅に出かけます。」
釈尊教団では、それまで、出家を志願する者には、釈尊が直接本人に会ったうえで、出家、
入門の許しを与えたのだが、手分けして布教の旅に出ることになれば、弟子たち自身が、
出家を許すことができるようにしなければならなかった。
そこで釈尊は、仏教信者として三つの根本的な心構えを示し、それを堅く守る決意がもてる
ものであれば、直接釈尊の許しを得ずとも、弟子としての資格をもつことができるように定め
ることにした。
その三つの心構えとは、
われは仏陀に帰依したてまつる
われは正法に帰依したてまつる
われは僧伽に帰依したてまつる
という<帰依三宝>の精神だった。これはつまり、「わたしは、仏さまと、仏さまが説かれる
真理の教えと、仏さまの教えを信じ、行なう人々の集まりを、心のよりどころにし、全身全霊
をあげてそれに従います。」ということである。
ちなみに、聖徳太子が制定された「十七条憲法」は、日本で初めてできた国と人の法であり、
その第二条にある「篤く三宝を敬え」の三宝は、この帰依三宝のことを指している。
こうして釈尊教団は、釈尊の偉大な人柄に心を寄せ、信奉する人びとが大勢集まり、大教団
へ発展していった。
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