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入滅

 釈尊が悟りをひらいてから入滅(亡くなる)までの45年間は、布教に明け暮れる生涯だった。
 釈尊は、80歳になったとき、おそば付きの弟子の阿難(あなん)をはじめ、何人かの弟子を
 連れ、最後の布教の旅に出発した。老いの色は濃く、長い間の持病であった背中の痛みも
 激しくなる中であったが、我が師の健康を心配する阿難の心をよそに、布教の旅を続けた。

 ところが、インドの激しい暑気と湿気が、老い衰えた身体によいはずがなく、重い病気を患う
 ことになってしまった。しかし、阿難の必死の看病の甲斐もあり、小康を得ることができた釈尊は、
 阿難に次のような言葉を伝えた。

 「阿難よ。わたしはすでに、余すところなく法を説いた。だから、教団のために語ることは何も
 ない。これからは、ただ自分を灯明とし、自分をよりどころにすればよい。そして、その自分は
 法を灯明とし、法をよりどころにすればよい。けっして、他をよろどころにしてはならない。」

 これが、自灯明・法灯明といわれる教えである。

 自灯明とは、自分こそが自分の人生の主人公であるから、自分の進むべき道は、自分で
 判断すべきである。他人にゆだね、他人のせいにしてはならない、ということである。

 そして、法灯明とは、自分が判断するときのその基準は、法(真理)に照らし、法にのっとって
 行なわなければならない。あやふやなもの、よこしまなものを基準にしてはならない、という
 ことである。実に単純・明快な教えである。詳細は、別ページで解説してみたい。

 さて、小康を得た釈尊は、さらに旅を続けたのだが、クシナガラという町に着かれたとき、
 いよいよ最後を迎えることになった。むせび泣く阿難をはじめとする弟子たちに、「もし、
 そなたたちに、教えについて迷いや疑問があるならば、今のうちに質問しなさい。わたしが
 世を去ったのち、聞いておけばよかったと後悔しないように・・」とおっしゃった。

 しかし、弟子たちは、まもなくこの世を去ろうとする師を前にしては、悲しみで胸がいっぱいで、
 何かことばを発することすらできなかった。そこで阿難は、「弟子たち一同、ひとりとして、
 迷いや疑いのある者はないように存じます。」と申し上げると、釈尊は最後の言葉をのべた。
 「では、比丘たちよ。みんなに言い残しておきましょう。すべての現象は移り行くものです。
 怠らず努力することですよ。」

 こうして釈尊は静かに眼を閉じられた。2月15日の夜半だった。


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