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お経の成立

 釈尊が説かれた教えを、実際に文字にあらわされたのがいわゆる「お経」であるが、
 文字にあらわされるようになったのは、入滅後、200〜300年くらいと伝えられている。
 入滅後すぐのころは、釈尊の弟子達のなかでも特に優れた人たち(高弟)が500人ほど
 集まって、釈尊の教えを確かめ合い、全員の頭に記憶したそうである。

 それほど、当時のインド人の記憶力は驚異的なものだったようだ。歴史的に、文字という
 ものが発明されるにしたがって、現代に伝わるお経ができあがったわけである。

 釈尊の説法は、説く相手により、その場そのときに、その人にふさわしい説き方を45年にも
 渡ってされたので、実に膨大なものである。「八万四千(はちまんしせん)の法門」といわれる
 ゆえんはそこにある。そして、そのように膨大な教え(お経)であるがゆえに、のちにお経に
 触れた人たちが、その人たちそれぞれの感じ方によって、お経全体からみればほんの
 一部分にすぎない教えにしたがい、「これこそ、釈尊がほんとうにおっしゃりたいことだった
 のだ」という考えに基づくようになり、宗派が生まれることになる。

 宗派については別ページで触れるが、とにかく、インドのサンスクリット語で書かれたお経は
 いまやさまざまな言語に翻訳され、世界中に広がっている。


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