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三法印

 三法印(さんぽういん)とは、「印」という字が示す通り、これこそが仏教のしるしである、
 と外に宣言する旗のごとくの教えであり、仏教の基本的・根本的な法門である。

 釈尊の悟りの本体が中道であることは先に書いた通りであるが、その中道の素を成す
 のが三法印であるといえる。

 例えるなら、中道が、陽子や中性子といった原子核を構成する粒子ならば、三法印は
 その陽子や中性子を構成するクォークである。

 三法印というからには三つの要素があるが、それは次のとおりである。

 ・諸行無常(しょぎょうむじょう)
 ・諸法無我(しょほうむが)
 ・涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)

 それぞれについて、以下に解説する。

 ◎諸行無常

  文字の通り解釈すれば、「諸(もろもろ)の行(物事)は常(つね)では無い」ということで
  あるから、簡単にいえば「変化する」ということである。

  平家物語の書き出し「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という一節は有名で
  あるが、この諸行無常とは、まさに三法印から引用されたものである。

  しかし、この平家物語で書かれている諸行無常とは、「この世ははかないものだ。当てに
  ならないものであるから、来世によりよい境遇に生まれることを望んで、今世はあたり
  さわりなく生きていけばよい」というような消極的、厭世的な意味にとられているフシが
  あるが、本来の諸行無常とは、そのようなものではない。

  すなわち、「変化するということは、絶対の真理であるから、この真理を活用し、あらゆる
  ものごとをよい方向に変化させていくような前向きな生き方に目覚めよう」というのが
  釈尊の本意である。

  誠に単純明快にして、何人も否定しえない真理であるといえる。

 ◎諸法無我

  こちらもまず、文字の通り解釈すれば、「諸(もろもろ)の法(あらゆる現象)には我(孤立)
  は無い」ということであり、つまり「関連する」ということである。

  さらに突き詰めれば、あらゆる現象(生物、無生物、自然現象)は、それのみで何者にも
  影響されることなく存在しているというものは無く、すべてなんらかのつながり・関連をもち、
  もちつもたれつの状態で存在している、ということである。

  これも、ごく明快な真理である。発展的に考えれば、あらゆるものごとがつながりをもって
  いるわけであるから、自分だけが得をしたいとか、ライバルを蹴落としたいなどという
  考えをもって行動することは、結局は自分を傷つけることにつながるのだ、ということになる。

  逆に、あらゆるものごとに感謝する心をもって接するならば、自分をも他人をもより向上
  させる行ないになるのである。

 ◎涅槃寂静

  涅槃寂静の涅槃とは、サンスクリット語の「ニルヴァーナ」を音写したものであり、火を
  吹き消した状態を指し、寂は不動、静は静かなことである。

  つまり、涅槃寂静とは、真理に合致した完全な調和、安らぎの状態であり、諸行無常、
  諸法無我を積極的に活用し、コントロールしきった状態である。

  また、この涅槃寂静を目指しつつ、諸行無常、諸法無我を研鑽実践し、常に向上して
  いく状態のことも含んでいる。

 さて、以上、三法印を非常に簡単に解説してみたが、誠に根本的かつ基本的な教えで
 あり、普遍の真理であることがおわかり頂けると思う。実践するのは簡単なことではないが、
 この真理を知っているか知っていないかだけでも、天と地以上の差がある。

 なお、諸行無常、諸法無我を無視し、なんらかのことがらに固執し、変化を嫌い、関係性を
 断ち、自己中心的な考えや行動しかしないとしたら、それは「一切皆苦(いっさいかいく)」
 であり、読んで字のごとく「すべてのことがらが皆苦しみ」でしかなくなる。

 この一切皆苦を三法印に含めて「四法印(しほういん)」とする場合もある。


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