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悟りをひらく
ゴータマは、
さまざまな外界からの邪魔や、自らの内面から湧き出る不安や迷いに打ち勝ち、
12月8日の朝、明けの明星がキラキラ輝くとき、ゴータマの心にひらめくように、ついに最高の
悟りに達した。ゴータマが35歳のときであった。〜
〜さて、ではいったい悟りとは何か。悟るとはどういう状態になることなのか。実のところ、明解な
記録は残っていないのだが、種々の仏教研究により、悟りの本体は「中道」ということであると
解釈されている。この「中道」については、別ページで詳解したい。
なお、ゴータマが悟りを開いたときの第一声は次のようだったといわれている。
「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとくみな、如来の智慧・徳相を具有す。ただ妄想・
執着あるをもっての故に証得せず」
この意味は、
「不思議だ。不思議だ。一切衆生はみな、仏と同じ智慧と徳のすがたをそなえている。では、
なぜ一切衆生は、闘争と苦悩の生活を続けているのだろうか。それは、正しくものごとを見ること
ができずに、妄想をくり返しており、仮の現れである自分自身に執着しているために、自分の
本質が仏と同じ輝かしいものであることに気付かないでいるのだ」
ということである。つまり、悟りとは、自分が何か別の知識を得ることによって、自分ではない、
異なる何かに変身する、などということではなく、むしろ、元々自分の中にある、本当の尊い
自分に気付きさえすればよい、ということがわかると思う。
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