HOMEへ戻る

宗派の発展

 仏教は大きく、小乗仏教と大乗仏教に分類されるが、なぜこんなふうに、一つの教えが
 分裂するようなことになったのか。その理由は、釈尊入滅後の、お経編纂の時期に遡る。

 釈尊の教えを、より広く伝道し、のちの世に残そうと考えられた多くの弟子達により、
 お経が整えられたわけだが、このとき、釈尊の言葉を一言一句正しく伝えようとする
 保守派と、釈尊の真意を重んじ、伝える手段はいろいろあってよいとする進歩派に主張が
 別れ、それがそのままお経の内容にも現れ、のちに小乗、大乗という見かけ上2種類の
 形式が生じた。

 ちなみに、小乗、大乗の名前の由来は、始め、進歩派が編纂したお経は、大勢の人が
 救われる教え(大きな乗り物)という意味で、自分たちが伝えようとする教えを大乗と呼び、
 保守派のとなえるところについては小さな(粗末な)乗り物というさげすみの意味を込めて
 小乗と呼んだものである。

 しかし、もともと釈尊が説かれた教えに小乗とか大乗などという区別はもちろんあるはずが
 なく、釈尊は、ただひたすらに、苦しむ人を救いたいという一心で、生涯布教に歩かれ、
 教えを説き続けられただけである。

 ただやはり、悟りをひらかれてから、始めの頃に説かれた教えと、中年期に説かれた教えと、
 晩年に説かれた教えには、表面上違いが出てくるのはやむをえないことである。なぜなら、
 釈尊は、相手に応じ、時と場所と場合に応じ、最も苦悩を取り除きやすい方法で説かれて
 いるかれであり、それはつまり、小学生に教える内容と、大学生に教える内容は違って
 当然であり、しかし、教える目的は、より高い境地へ導こうとする意味においては違いが
 ないということと同じである。

 南伝仏教、北伝仏教のところでも述べたが、釈尊が説かれた教えは、その時期、内容に
 より、おおむね次の5つに分類される。

 華厳、阿含、方等(浄土)、般若、法華・涅槃

 このように多くの種類、手段で説かれた教えであるがゆえに、さまざまな宗派が生まれて
 しまったことは、やむをえないことであるが、逆に、いろいろな宗派があればこそ、人により、
 悩みにより、ふさわしい仏門が多く用意されているわけであり、門が違っても最終的には、
 皆、仏の境地を目指すのだという本当の(共通の)目的を明確にすることこそ大事なことで
 あるといえる。


前へ戻る